浅野内匠頭の辞世の句

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浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)の辞世の句

風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん

風を誘って散る桜の花よりもなお、急いで散ろうとしている私は、この春の心残りをどうしたらいいのだろうか。

※享年35。
※浅野長矩(あさのながのり)は、官名から浅野内匠頭と称されることが多い。

忠臣蔵のモデルとなった赤穂事件とは

忠臣蔵の元となった事件(=赤穂事件)の始まり。

元禄14年3月14日(1701年4月21日)、江戸城本丸大廊下(通称松の廊下)にて、浅野内匠頭吉良上野介(きらこうずけのすけ)を切りつけた。
取り押さえられた浅野内匠頭に対し、当日切腹と、赤穂浅野家の改易(取りつぶし)の沙汰が下る。
当時の江戸時代は「喧嘩両成敗」の風習があり、吉良上野介にも何らかの処分があったとしても不思議はなかったが、吉良家には全くお咎めがなかった。また、浅野家への処分も早過ぎた。この処分が、赤穂藩に大きな不満を抱かせる。
元禄15年12月14日 (1703年1月30日)、赤穂浪士たちは吉良邸に侵入し、吉良上野介を討ちとった。(=赤穂事件)
赤穂事件をモデルに、主君の遺恨を晴らすべく命をかけて吉良邸に討ち入った四十七士を描いた、『忠臣蔵』が誕生する。

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