【日航機墜落事故】機長の最後の言葉

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【日航機墜落事故】機長の最後の言葉

これはだめかも分からんね

日本航空123便のボイスレコーダーに残された音源より。

1985年8月12日、18時12分の離陸から12分後の18時24分。相模湾上空で、機体後方で爆発音が発生。機体の各装置を動かす油圧系統に異常をきたす。機長は、緊急遭難信号を発信し、すぐに羽田空港へと引き返そうと試みるが、123便はこの時既に尾翼の一部を失っていた。
やがて機体は、上下左右に揺れるダッチロール状態に陥った。
失速寸前の機体を持ちこたえさせようと、コックピットでは懸命の操縦が続いていた。
しかし、18時45分、「Uncontrollable(操縦不能)」。
異常発生から22分、18時46分に機長が発した言葉。

あ-だめだ・・・

18時49分、失速警報音が出た直後の機長の言葉。

どーんといこうや。頑張れ。頭下げろ、頑張れ、頑張れ

18時50分、機長の高濱雅己さん(49歳)が、副操縦士の佐々木祐さん(39歳)を励ます様子。

18時56分23秒、日航機墜落。
地上接近警報「PULL UP(上昇せよ)」が繰り返される中、「もうあかん」「もうダメだ」とも聞き取れる叫び声が記録されていた。
※報告書では機長の発言は「判読不能」とされている。

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日航機墜落事故

1985年(昭和60年)8月12日、日本航空123便(ボーイング747SR-100型機)が操縦不能に陥り、群馬県多野郡上野村の高天原山山中(通称・御巣鷹山)ヘ墜落した航空事故。
乗客乗員524名のうち死亡者数は520名、生存者は4名で、2023年時点で単独機の航空事故としては世界最多の死亡者数を出した事故である。

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