目次
前田慶次の辞世の句
※前田慶次の辞世の句は残っていない。
そもそもこの無苦庵は孝を勤むべき親もなければ憐むべき子も無し。こころは墨に染ねども、髪結がむづかしさに、つむりを剃り、手のつかひ不奉公もせず、足の駕籠かき小揚やとはず。七年の病なければ三年の蓬も用いず。雲無心にして岫を出るもまたをかし。詩歌に心なければ月花も苦にならず。寝たき時は昼も寝、起きたき時は夜も起る。九品蓮台に至らんと思う欲心なければ、八萬地獄に落つべき罪もなし。生きるまで生きたらば、死ぬるでもあらうかとおもふ。
前田慶次が晩年に記したとされる『無苦庵記』の一節。
現代語訳:そもそも、私こと無苦庵には、孝行をつくすべき親もいなければ、憐れみいつくしむべき子供もいない。わが心は墨衣を着るといえるまで僧侶には成りきらないけれども、髪を結うのが面倒なので頭を剃った。手の扱いにも不自由はしていない。足も達者なので駕籠かきや小者も雇わない。ずっと病気にもならないので、もぐさの世話にもなっていない。そうはいっても、思い通りにならないこともある。しかし、山間からぽっかり雲が浮かびあらわれるように、予期せぬこともそれなりに趣があるというものだ。詩歌に心を奪われなければ、月が満ち欠け、花が散りゆく姿も残念とは思わない。寝たければ昼も寝て、起きたいときには夜でも起きる。極楽浄土でよき往生を遂げたいと欲する心もないが、八万地獄に落ちる罪も犯してはいない。寿命が尽きるまで生きたら、あとはただ死ぬというだけのことであろうと思っている。