麻原彰晃の最後の言葉【オウム真理教】

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麻原彰晃(松本智津夫)の最後の言葉

あぁ、四女。四女だな。ぐふっ

2018年(平成30年)7月6日、7時40分。刑務官に独房から出房を促され、教誨室に入る。
松本元死刑囚は結局教誨はせず、刑務官に「遺体や遺品はどうする? 妻や子供たちがいるだろう。妻、次女、三女、四女…」とたずねられ、言った言葉。

※本名:松本智津夫(まつもとちづお)。

・死刑確定:2006年9月15日
 ※オウム真理教事件で死刑が確定するのは2人目。
・執行:2018年7月6日(63歳没)
・処刑地:東京拘置所

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オウム真理教の教祖

松本元死刑囚は、昭和59年頃に、宗教やヨガのサークル「オウム神仙の会」を開く。
昭和62年に「オウム真理教」を名乗り、最終戦争が近づいているとして信者の危機感をあおって武装化を進める。
その後、山梨県の旧上九一色村のサティアンと呼ばれる施設で急速に武装化を進め、ひそかにサリンを製造した。
平成6年6月、最初の無差別殺人となる松本サリン事件を起こし、8人が死亡、140人以上が被害を受けた。
平成7年3月の地下鉄サリン事件の後、警察の強制捜査を受け、2か月後に教団施設の隠し部屋に潜んでいるところを逮捕された。
裁判では地下鉄サリン事件をはじめ、松本サリン事件や坂本弁護士一家殺害事件など合わせて13の事件で殺人などの罪に問われた。一連の事件で死亡した人の数は29人にのぼった。
松本元死刑囚は「自分は一切指示していない」などと無罪を主張したが、1審の東京地方裁判所は、平成16年2月、「一連の事件の首謀者として極限の非難に値する」として死刑を言い渡した。

地下鉄サリン事件

1995年(平成7年)3月20日に日本の東京都で発生した同時多発テロ事件。
地下鉄車両内で、オウム真理教の信者らが神経ガスのサリンを散布。乗客及び職員、さらには被害者の救助にあたった人々にも死者を含む多数の被害者が出た。

麻原彰晃は、オウム真理教の教祖として、坂本堤弁護士一家殺害事件、松本サリン事件、地下鉄サリン事件ほか多数を教唆。
一連の事件の首謀者として逮捕され、他の12人の幹部と共に死刑に処された。

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