中川智正の最後の言葉【オウム真理教】

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中川智正(なかがわ ともまさ)の最後の言葉

自分のことについては誰も恨まず、自分のしたことの結果だと考えています。被害者の方々に心よりお詫び申し上げます。施設の方にも、お世話になりました

2018年(平成30年)7月6日早朝、独居房から出された中川元死刑囚は、刑務官が腕を取ろうとすると、「体に触れなくても良い、自分で歩いていく」と拒否。
教誨室に通されたが、「実家の宗派と異なる」として仏教の教誨は断った。出されたお菓子や果物には手を伸ばさず、お茶を2杯だけ飲んだ。
中川元死刑囚の遺体は翌日、遺族に引き取られた。

・死刑確定:2011年11月18日
 ※オウム真理教事件で死刑が確定したのは12人目。
・執行:2018年7月6日(55歳没)
・処刑地:広島拘置所

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サリンを製造

中川元死刑囚は、京都府立医科大学の医学部に在学中の昭和63年にオウム真理教に入り、翌年、大阪の病院を辞めて出家した。
教団では麻原彰晃の主治医を務め、側近の1人だった。
平成元年の坂本弁護士一家の殺害事件に実行犯として加わったほか、猛毒のサリンの製造にも関わり、平成6年の松本サリン事件や平成7年の地下鉄サリン事件など合わせて11の事件で殺人などの罪に問われた。関与した事件で死亡した人の数は27人にのぼっている。
裁判ではほとんどの事件に関わったことを認め、「亡くなった方々や遺族にはお詫びの言葉もありません。人間として、医師として失格でした」と反省の言葉を述べた。

地下鉄サリン事件

1995年(平成7年)3月20日に日本の東京都で発生した同時多発テロ事件。
地下鉄車両内で、オウム真理教の信者らが神経ガスのサリンを散布。乗客及び職員、さらには被害者の救助にあたった人々にも死者を含む多数の被害者が出た。

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