土谷正実の最後の言葉【オウム真理教】

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土谷正実(つちや まさみ)の最後の言葉

2008年に獄中結婚し、面会を重ねていた妻の名前

『週刊新潮』(2019年7月1日号)より。

・死刑確定:2011年2月15日
 ※オウム真理教事件で死刑が確定したのは11人目。
・執行:2018年7月6日(53歳没)
・処刑地:東京拘置所

※2018年7月6日に処刑された7人の中で、刑場から火葬まで麻原彰晃と一緒だった死刑囚は、土谷だけだった。

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サリン製造の中心的人物

土谷元死刑囚は、筑波大学大学院に在籍していた平成元年に麻原彰晃の本を読んだことがきっかけでオウム真理教に入信した。
大学院を退学して出家し、専門的な知識をもとに化学兵器の製造で中心的な役割を担い、研究、開発のための専用の施設も与えられ、教団内での地位を高めていった。
両親は息子を教団から取り戻そうと、茨城県の更生施設「仏祥院」に脱会を依頼。寺に監禁を試みたが、上祐史浩が奪還に動くなどし、寺から脱出。親の元に帰ることはなくそのまま出家した。
平成5年に猛毒のサリンの製造に成功すると、その後も猛毒のVXの製造方法を考案したほか、強い幻覚作用がある麻薬も密造した。こうした化学兵器が一連の事件で使われた。
初公判で「尊師の直弟子です」と述べるなど松本元死刑囚を信じる姿勢を貫き、化学兵器を作ったことは認めたが、「何に使われるかは知らなかった」と主張した。

地下鉄サリン事件

1995年(平成7年)3月20日に日本の東京都で発生した同時多発テロ事件。
地下鉄車両内で、オウム真理教の信者らが神経ガスのサリンを散布。乗客及び職員、さらには被害者の救助にあたった人々にも死者を含む多数の被害者が出た。

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